英雄の書 上巻~ メンタリストの炎上に思う事①
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ユーリ(主人公)の兄は英雄の力に憧れ、自分の得た力を制御できなくなり、同級生を殺してしまうところから物語は始まります。それが何故を起こったか、そして、兄を救済する目的で、ユーリはパラレルワールドに旅立ちます。
※ある意味、千と千尋みたいな感じ。
この英雄の書の中にしめされている英雄とは「ヒーロー」や「正義の味方」ではありません。この著書の中にある英雄とは、善悪のない純然たる「強大な力」の事です。
著書でいうところの英雄は実在の人物では無く物語です。
物語として語り継がれている英雄から、私たちは色々は影響を受けます。時には刺激や勇気となって力をなってくれる事もあるし、自分自身を見誤って人を傷つけてしまったりします・・・。
例えば、日本史でいう英雄視されている人物でいうと織田信長や幕末の志士があると思います。彼らは従来にないやり方で、人を巻き込む情熱や熱量で様々な変革を起こしました。しかしながら、ありきたりな言い方をすれば、その良い変化の一方で、同じくらい涙を流した人もいる事でしょう。
英雄とは生神ではなく、社会に大きな痕跡を残した人であって、その評価は見る視点や時代によって揺れ動きます。
~ヒーローは、善であり悪であって、ただの痕跡である~
というのが、この物語の大前提です。
最近はユーチューブ、ブログ色んなメディアが発達したおかげで、誰もが発信者になれる時代になりました。中には加速度的に大きな力を持ってしまった人もいるように思います。
子供から大人に発達する過程で、私たちは徐々に成長します。でもこういう影響力は身長みたいに1年に数センチというスピードで大きくなってくれません。
私は社会的に成功して人間ではありませんし、このブログは世界を変える力をもちろんもっていません。
でもその力を行使できる器で無いのなら、そもそも英雄になる必要は無いのかなと思います。
弱くても良いとは言い切れませんが、望まないならば、無理に成功しようとか、勝たねばならないとか、あえてその勝負をする必要は無いのかなと・・・。
力もお金も使い方を知らないなら、知っている分だけ持っていれば十分かなと。
社会は弱肉強食な部分も確かにあります。優性思想の様にメリット・デメリットで世の中を見る尺度もあるかもしれない。
でもこの世の中の成り立ちは、メリット・デメリットだけでは説明できない部分がたくさんあるなぁと思います。
メリット・デメリットだけで説明できる世界は平面的ですが、この空間にはもっと奥行きがありますよね。
私は何者でも無いけれど、成功していないけれど、人を傷つけない方がよっぽど良い。
人に評価されなくて悩んでいる人がいたなら、無理して立派にならなくて良いと伝えたいです。